2026年2月7日土曜日

アートが何なのか、はっきりと言葉にできず、迷いの中にいる

 



正直なところ、まだよくわかっていない。
自分が描いているアートが何なのか、はっきりと言葉にできず、迷いの中にいる。

その迷いが、少しずつ苦しさとして表に出てきた。
もしかすると、その感情が絵に滲み出てしまっているのかもしれない。

僕が手描きではなくAIで描いていることも、この迷いと無関係ではない。
なぜなら、AIは同じプロンプトを使えば、誰でも似たような絵を生み出せてしまうからだ。
だから、AIの創作物には価値がないと感じる人も多いだろう。

それでも僕は、一定以上のレベルのものを創り出すには、やはり高い技術と感覚が必要だと思っている。
それは絵であっても、AIであっても同じではないだろうか。
そう感じているのは、自分だけなのだろうか。

多くの人にとっては「ただのAIイラスト」で終わってしまう。
そこに、自分の考えとの大きなギャップがある。

今描いている美少女の絵は、いくつもの偶然が重なった結果だ。
そして、ようやくAIの技術が、自分の表現したいものに追いついてきた。
だからこそ、今の形として成立している感覚がある。

とはいえ、僕自身がAIに詳しいわけではない。
本当にAIを使いこなしている人たちは、もっと高い次元で表現しているはずだ。
正直、そこまで到達しているとは思っていない。

それでも、自分なりに表現したいものは確かにある。
多くの人は「イラスト」を描いているけれど、それは必ずしも「アート」ではない気がしている。
ただイラストを描くだけでは意味がなく、そこにはアートとしての価値観が必要だ。

その境界線を越えるために、今も模索し、努力を続けている。

2026年2月5日木曜日

アートとイラストの違いについて

 

アートとイラストの違いについて、ずっと考えてきたことがあります。多くの人が「アート」という言葉をなんとなく使っている気がします。イラストを描いている人自身も、意外とその本質を深く理解していないケースが多いのではないでしょうか。もちろん、それでいいのかもしれません。別に誰もがアートの専門家である必要はないですから。
ただ、アートをある程度意識して見続けてきた自分としては、どうしても「イラストにはアートのような深い価値がない」と感じてしまう瞬間があります。有名な作家が描いたから価値が出る、という側面もあるでしょう。ポップアートなんかは、見た目だけならイラストとほとんど変わらない作風なのに、アートとして扱われていますよね。境界がすごく曖昧に見える。
でも、一番核心的な部分は、作者自身が「これはイラストではなくアートだ」と意識して作っているかどうかだと思っています。
「イラストとして描く」という意識で制作した場合、ほとんどの場合それはイラストの枠を出ない気がするんです。対して、「アートとして描く」という強い意志を持って制作したとき、初めて作品に独特の雰囲気や、深い価値が生まれてくるのではないでしょうか。
イラストは、表面的な美しさや楽しさ、わかりやすさ、かわいさ、かっこよさといった要素が主軸になりやすい。依頼主や視聴者を喜ばせること、伝えるべき情報を視覚的に届けることが目的の中心にあるから当然といえば当然です。
一方、アートは表面的に「きれい」「楽しい」かどうかは二の次でいい。むしろ、そうではない表現であっても、そこに何かを感じさせる力何かを伝えようとする強い意思があるからこそ、価値が生まれるのだと思います。
結局のところ、「何かを伝えたい」「感じてほしい」という内側からの強い衝動や意図があるかどうかが、アートとイラストを分ける一番大きなラインなのかもしれません。
もちろん、これはあくまで僕個人の感覚です。現代では境界がどんどん溶けていて、「どっちでもいい」「両方ありえる」という意見もすごく多い。でも、自分が絵を描くときや見るときに、この違いを意識すると、何か制作に対する姿勢が変わってくるような気がしています。

2026年2月3日火曜日

正解のない「AIアート」を、迷いながら歩き続けるということ。


 最近、あんなに楽しかったSNSへの投稿に、少しだけ足がすくんでしまう自分がいます。

毎日コツコツとAIでアートを作り続けているけれど、いざX(Twitter)にアップしようとすると、「これを見た人はどう思うかな…」と、ふと手が止まってしまうのです。

今のSNSで主流なのは、キラキラとした華やかな「AIイラスト」。 僕が作っているものは、それとは少しテイストが違う、自分なりの「アート」を表現しようとしたものです。

否定的な意見を言われるわけではないけれど、知り合いやフォロワーさんの視線を想像すると、「この作風、困惑されないかな」「なんだかモヤっとさせてしまわないかな」と、考えすぎてしまうのかもしれません。

アートという分野は、もしかしたら少しだけ、受け取る側にもエネルギーが必要なもの。 だからこそ、分かりやすい「イラスト」の方が喜ばれることもよく分かっています。

それに加えて、最近は自分自身の中にも小さな迷いが生まれてきました。

「最近、同じような絵ばかり描いていないかな?」 「作品がマンネリ化して、独りよがりになっていないかな?」 「そもそも、この方向性で合っているんだろうか……」

そんなふうに、自問自答のループに陥ってしまう日もあります。 暗闇の中で、出口を探して試行錯誤しているような、そんな感覚です。

でも、ふとこれまでの自分の歩みを振り返ってみると、やっぱり「今、これを作るしかないんだ」という想いに立ち返ります。他に選べる道があるわけでも、誰かの真似をして満足できるわけでもありません。

たとえ正解が分からなくても、この「迷い」や「葛藤」さえも、今の自分にしか作れないアートの種になるはず。

今はまだ気持ちが渦巻いているけれど、それでもまた明日、自分なりの表現を探してキャンバスに向き合ってみようと思います。

2026年2月1日日曜日

【原点回帰】5年の時を経て、ようやく「描きたかった世界」に手が届いた話

 



最近、アート制作にどっぷりと没頭しています。

思えば、ずっと作りたかったものがありました。でも、かつての自分の技術では、どうしてもそれを形にすることができなかった。そんなもどかしさを抱えていた私が、今、再び筆(プロンプトやマウス)を握っています。

3DCGの限界と、抽象画への迷走

かつてのメインツールは3DCGでした。メカニックなものや工業製品を作るには最高のツールでしたが、こと「人間」となると話は別です。

私が理想とする「いい感じの女の子」を描こうとしても、どうしてもCG特有の硬さが抜けず、当時のソフトの使い勝手も相まって、それはもう無茶に近い挑戦でした。

その後、逃げるように抽象画に手を出した時期もありました。「意味不明」と言われがちな抽象の世界。結局、作者である自分にしか分からない表現は、多くの人には届かない。そう痛感して、「自分には無理だ」と一度は夢を諦めたんです。

伏線が回収された「空白の5年間」

それから約5年。 その間にはコロナ禍という大きな時代の変化があり、私自身も絵画教室に通うなど、自分なりに「表現」と向き合う時間を過ごしてきました。

そして今、AIという、5年前には想像もできなかった圧倒的な技術が現実のものとなりました。

あの頃、技術が足りなくて形にできなかったイメージ。 あの頃、道具が不自由で諦めてしまった世界。

今、そのすべてがAIという翼を得て、ようやく形になり始めています。絵画教室で学んだことも、3DCGで苦労した経験も、すべてはこの瞬間のためにあったのではないか。今、そんな不思議な感覚の中にいます。

「上手さ」よりも「伝わること」を

世の中には、私よりもはるかに技術に長けたAIクリエイターが山ほどいます。でも、誰かと比べるのはもうやめました。

難解な自己満足のアートではなく、「一般の人が見て、直感的にいいなと思えるアート」。それこそが、私が本当に作りたかったものだからです。

今の自分にできる表現、今の自分にしか出せない味。 現状を楽しみながら、一歩ずつ、納得のいく作品を積み上げていこうと思います。

アートが何なのか、はっきりと言葉にできず、迷いの中にいる

  正直なところ、まだよくわかっていない。 自分が描いているアートが何なのか、はっきりと言葉にできず、迷いの中にいる。 その迷いが、少しずつ苦しさとして表に出てきた。 もしかすると、その感情が絵に滲み出てしまっているのかもしれない。 僕が手描きではなくAIで描いていること...