以前にも少し触れましたが、今回は改めて「歩きスマホ」の問題について掘り下げてみたいと思います。
なぜなら、最近ではこの問題について語られることがめっきり減ってしまったからです。
歩きスマホは“普通の光景”になった?
かつてはテレビでもニュースでも、頻繁に「歩きスマホの危険性」が取り上げられていました。
しかし、最近ではその話題自体、ほとんど耳にしなくなりました。
その理由は明確ではありませんが、おそらく「それがあまりにも日常的な光景になってしまった」からではないでしょうか。
街中を見渡せば、歩きながらスマホを見ている人は少なくありません。
中には、自転車に乗りながら、あるいは車を運転しながらスマホを操作している人さえいます。
実際、こうした行動が原因で重大な事故が起きたケースもあります。
死亡事故にまで至った事例も報告されているほどです。
それでもなお、「そこまでしてスマホを見る必要があるのか?」という疑問を、私は強く抱かざるを得ません。
それは“中毒”なのでは?
個人的には、歩きスマホや運転中のスマホ使用は「スマホ中毒」あるいは「ネット中毒」の表れだと思っています。
考えてみてください。
人が生きていく上で、スマホを四六時中見ている必要は、本来ないはずです。
にもかかわらず、多くの人が、歩いている最中ですらスマホを手放さない。
これは、ネットやスマホがもはや「生活の一部」を超えて、「依存対象」になっていることを示しているように思います。
なぜ人は歩きスマホをするのか?
私は、歩きスマホをしている人の多くが「現実逃避」をしているのではないか、と考えています。
もしかすると、彼らにとって現実の世界はあまり面白く感じられないのかもしれません。
だからこそ、手元のスマホを通じて、SNSやゲーム、動画といった“バーチャルな世界”に逃げ込む。
その方が楽しく、心地よく、そして都合がいいからです。
でも本当は、現実の世界の中にこそ、面白さや学び、感動があるはずなんです。
私たちはその「面白さ」に気づく感性を、スマホの画面に奪われているのかもしれません。
終わりに:スマホに振り回されないために
スマホやネットは便利なツールです。
しかし、それに“使われる側”になってしまっては本末転倒です。
歩きスマホが当たり前になった社会は、便利さの裏にある危険や依存性を見落としがちです。
だからこそ今こそ、あえてもう一度、「本当にそれは必要か?」と問い直してみる必要があるのではないでしょうか。
一人ひとりがスマホとの距離感を見つめ直すことが、これからの健全な社会にとって大切な一歩になるはずです。