私たちの住むこの宇宙、目の前にある現実、そして目に見えないもの――例えば神様や人の本質――は、本当に「存在」しているのでしょうか? そんなちょっと哲学的で、でも誰もが一度は考えるテーマについて、今日は掘り下げてみたいと思います。
宇宙の始まりと「存在」の疑問
私は物理学が好きで、宇宙の起源や仕組みについて書かれた本をよく読みます。専門家レベルではないけれど、ビッグバンや宇宙の膨張みたいな話にはワクワクします。でも、考えてみると、私たちが「現実」と呼んでいるこの世界って、そもそも何なんでしょう? 目に見えるもの、触れるもの、感じるもの――これらが本当に「存在」しているのか、それとも私たちの頭の中だけで作られた幻想なのか。そんな疑問が湧いてきます。
例えば、目の前にコップがあるとします。コップはそこに「ある」と思うけど、実はそれは私の視点や感覚がそう解釈しているだけかもしれない。もっと言えば、宇宙そのものが「存在する」と信じているのも、私たちの認識にすぎないのかもしれません。深いですよね!
見えないものの「事実」はどう決まる?
目に見えるものだけでなく、目に見えないもの――例えば「この人はいい人か、悪い人か」といったことも、同じように複雑です。ある人を見て「いい人だ」と思うとき、それは私の視点や経験に基づいた評価です。でも、別の人は同じ人を見て「悪い人だ」と感じるかもしれない。どちらが本当なのでしょうか?
人間は、どうしても自分の視点でしか物事を見られません。一つの面だけを見て、それを「事実」だと思いがちです。たとえば、ネットで商品のレビューを書くとき、星5つをつける人もいれば、星1つしかつけない人もいます。どちらも同じ商品を見ているのに、評価はバラバラ。実はこれ、私たちの「バイアス」が影響しているんです。
バイアスが作り出す「現実」
バイアスとは、簡単に言うと「偏った見方」です。私たちは無意識に、自分の経験や感情、価値観に基づいて物事を判断します。星5つをつけた人は、その商品に感動したかもしれないし、星1つをつけた人は期待が裏切られたのかもしれない。でも、どちらも「その人にとっての事実」でしかないんです。
この考え方をさらに広げると、たとえば「神様はいるかどうか」という問いにも当てはまります。神様の存在を信じる人にとっては、神様は確かに「いる」。でも、信じない人にとっては「いない」。どちらが本当か? 実は、どちらもその人にとっては「事実」なんです。私たちは人間の視点でしか物事を見られないから、自分の信じるものがその人の「現実」になる。
総合的に見ることの難しさ
ここまで読んで、「なるほど!」と思う人もいれば、「ん? 何それ?」と思う人もいるかもしれません(笑)。実は、物事を総合的に、いろんな視点から見るのって、めっちゃ難しいんです。自分のバイアスに気づくだけでも一苦労なのに、相手の視点や全く違う価値観を理解するなんて、もっと大変。
でも、だからこそ面白いんですよね。自分の見ている「現実」が、実は一面でしかないかもしれない。そう考えると、ちょっと謙虚になれるし、いろんな人の意見を聞いてみようかな、って気になりませんか?
最後に:あなたの「現実」は何ですか?
結局、宇宙や神様、人の本質といった大きなテーマも、ネットのレビューみたいな日常の小さなことも、すべて私たちの視点やバイアスでできています。それが「存在」するかどうかは、誰にもわからないかもしれない。でも、少なくとも「自分にとっての事実」は、確かにそこにある。
あなたにとっての「現実」は何ですか? そして、それを疑ってみたとき、どんな新しい発見があるでしょうか? ぜひ、考えてみてください!